近代以降の教育と「礼儀」の関係。そして「接客」へ?

今のところ仮定として、近代化とともに教育制度が充実する中で「礼儀」という観念が国民に流布していたのでは?

 

近代化以前はどうなっていたのか?

 

「礼儀」は以下のように類型化できると考える。

ゲマインシャフト的な場

・家庭内(家父長的な上下関係の起源)

・近所付き合い(そもそも近所付き合いはいつから始まったのか検討必要)

・職場(職場は曖昧な中間的な場?)

ゲゼルシャフト的な場(大衆社会の進展の中で登場か?観光の普及により旅行業などのホスト側が「接客」を発達させたのでは?)

・職場

・消費空間(第三次産業の発達のなかで、「ホスト/ゲスト」間。ホストは職場の存在。ゲストは消費空間)

 

特に気になるのは、近代化以降に礼儀が教育制度の発達のなかで普及していく。しかしそれは、ゲマインシャフト的な場に限定されていたのでは?

 

消費社会が1920年以降訪れるなかでゲゼルシャフト的な場が生み出され、そのなかで「接客」という「礼儀」とは位相を異にする観念が生み出されたのでは?

明治以降から現代に至るまでの第三次産業の動向


ここでは、明治以降の日本国内における第三次産業の動向を、統計的な面から先行研究を元にまとめる。

 

明治期から現代までのサービス業の概観に関する先行研究

▼森川正之(2017)「サービス産業と政策の百年:概観」(『RIETI Policy Discussion Paper Series』17(3))

・概要:1920 年前後から戦時経済、終戦、高度成長期を経て今日に至るまでのサービス産業の動向とサービス産業を対象とした政策について概観する。

・三つの区分:

①1920-70年代初め:工業化の進展とサービス業のシェアの拡大

②1970-1990:製造業が縮小しサービス業が拡大

③1990-:「失われた二十年」

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森川2017:32

サービス業(国勢調査調査内の産業分類)

①1920-70年代初め:工業化の進展とサービス業のシェアの拡大

戦前

1920年~1935 年の間の産業別有業者数の変化:有業者総数が 2,726 万→  3,164 万人へと 16%増加

商業、接客(飲食、宿泊)、サービス業(教育、医療など)が大幅にシェアを拡大金融・保険、運輸・通信のシェアはほぼ横ばいである(梅村他, 1988)。

・1920 年以前は農業から製造業への産業間労働移動が大きかったが、1920 年代の産業間労働移動の中心は農業から商業への男性労働力の移動だったことが指摘されている(新保, 1995)。p5」

戦後 

・第二次大戦後は、様々な新しいサービス業種が登場。

・「日本標準産業分類」:新しく登場・成長した業種の分類を新設し、衰退した業種を廃止

 

②1970-1990:製造業が縮小しサービス業が拡大

・新しいサービス業種が登場

・1980 年代にかけて既に、計量証明業(1976 年)、警備業(1984 年)といった業種が「日本標準産業」の小分類レベルで新設

・最も大きな変化は 2002 年に大分類レベルでサービス産業が大幅に再編され、情報通信業、医療・福祉、教育・学習支援業、飲食店・宿泊業、複合サービス事業という大分類が設けられたことである。それまで狭義サー
ビス業は対個人サービス業と対事業所サービスの二分類だったが、このときに新設された大分類に再編された。

 

③1990-:「失われた二十年」
・2007 年には、運輸業・郵便業、不動産業・物品賃貸業、学術研究・専門・技術サービス業、生活関連サービス業・娯楽業が大分類レベルで新設

・新設業種を見ると、余暇・健康関連、インターネット関連の新規サービスや、ドラッグストア、ホームセンター、無店舗小売業といった小売業の新業態登場・成長 p6

 

小売業と狭義サービス業に限定(表2参照)。

f:id:Yohei1995:20200225131422p:plain課題:戦前のデータがない。戦前のサービス業の定義付けの方法。

 

 

売店

戦前

・小売業では 1904 年~1920 年頃にかけて、大呉服店が百貨店に業態転換

・地方百貨店、電鉄会社のターミナル・デパートも登場

・1930 年代を通じて大きく発展

・従来の小売店と比べると、品揃え、経営方法、販売方法の革新を伴った新しい小売業態

→戦後にも続く中小小売商による反百貨店運動も招いた(新保, 1995; 宮本・平野, 1996)。

戦後
・大量生産・大量消費の時代を迎え、百貨店が再び伸長

流通革命:セルフ方式のスーパーマーケットが登場・成長

ex.1953 年の紀伊国屋・青山店、光ストア(1956 年)、ダイエー(1957 年)、西友ストア(1958 年)

1970年以降

・1972年には、スーパーの総売上高が百貨店を上回るに至る。・・・

・1970 年代以降、小売業の内部でもスーパーマーケットやドラッグストアの拡大、コンビニエンス・ストアの登場・成長など、大きな構造変化が進んだ。1972 年にはスーパーの総売上高が百貨店を上回り、ダイエーの売上高が三越を超えたのもこの年である。コンビニエンス・ストアとしては、1974 年にセブンイレブン、1975 年にはローソン及びファミリーマートが開店し、フランチャイズ・チェーン方式で急拡大していく。」p7

 

飲食店

「前期にも様々な娯楽サービス業が存在し、「国勢調査」によれば、娯楽業の就業者数は1930 年 8.8 万人、1940 年 25.6 万人となっている。宿泊業の就業者数を見ても、1930 年 15.9万人、1940 年 16.6 万人であり、いずれも一定の経済的な位置づけを持っていたことが確認
できる。戦時統制経済・戦後復興期を挟んだ後、所得上昇と余暇時間の増加(市場労働時間・家事労働時間の短縮)に伴って、1960 年代にレジャー・ブームが到来した。ゴルフ場、ボウリング場、プロ・スポーツ、観光業といったサービス業種がその受け皿となる。いわゆる
第一次登山ブームもこの頃だった。余暇関連サービス業は飲食店と同様、所得弾力性の高いセクターである。
戦後の比較的早い時期に成長したのが映画館や興行場であり、映画館の数は 1951 年の 飲食店の事業所数、従業者数は、2006 年までは「事業所・企業統計調査」(総務省)、それ以降は「経済センサス基礎調査」(同)及び「経済センサス活動調査」(同)による。」p8-9

 

娯楽業

3,480 から 1960 年に 8,316 と2倍以上に増加した。しかし、その後は漸減傾向を辿り、1973年の映画館数は 3,349 とピークの 40%に縮小、同年の年間入場者数は 1.9 億人と 1958 年のピークにおける 11.3 億人の 16%にまで減少した。TV の普及やレジャーの多様化によるものと考えられる。一方、1957 年~1973 年の間、ゴルフ場数は 116 から 773 へと大幅に増加し、年間延べ利用者数も 182 万人から 3,365 万人へと急速に増加した。